2015年12月10日木曜日

愛らしさが脳裡から離れない日々!

秋の景観

 『海人』とイラストの入ったTシャツを身に着けた少年のその愛らしさに釘付けになった日、愛らしさが語りかけるものは、例えば人生の辛酸や歓びを嘗め尽くしてきたような老父母のことばの柔らかさとおだやかさとその語りの深い諦観と共にやってきた優しさであり、しかしその記憶の残酷さでもあった。
 
対馬丸にのっていたのは穏やかな表情の少年の祖父の兄であり姉であった。戦争の惨さが身体に魂の底に沈静していたのである。「あっちは戦争でたくさんの人が亡くなったところでね」の一言がドスンとやってきた。信心深さは、亡くなった母がよくやっていたように「まぶいを込める」という行為に至る。若者たちが心霊スポットとはしゃいで肝試しをする場所は、実際に余儀なく命を絶たれた者たちの自らの納得のいかない死ゆえに、逡巡し、さまよう霊たちが集う場所でもありえるのだ。遊びの場ではないのである。

70年前の戦争の記憶は身体に精神に沈殿しつづける。そしてそれは語りの中から子供へ、そして孫へと引き継がれていく。対馬丸会館で毎年慰霊祭が開催される日、愛らしい少年は祖父といっしょに鳥たちを放つセレモニーに参加する。数多の生き物たちと繋がってある地球の住民として、戦争で生命を失われた者たちの記憶と共に、地球市民の意識に何度も回帰していくのである。

命への優しさであふれる明るい部屋の中では、ウサギが放し飼いにされていた。犬、ネコの放し飼いはわかるが、ハムスターの放し飼いも以前経験があるからわかるが、うさぎには驚いた。そのウサギが「コスモスの花やタンポポの花を食べるのですよ」と、お話した夏の入道雲のように穏やかな女性は、いつでも『聡明な人』のイメージのままそこに実在した。

キャンパスに咲いているタンポポとその葉っぱをもってまた愛らしい目に会いに行きたい。

【愛らしさに眼が吸い込まれ打たれた日】
【一目ぼれとはこんな感覚だったのだろうか】
【眼差しがちらりちらりとやってくる日々、愛らしさが焼きついたまま】
【パブロフの犬が惑いを与えた日、君がいた】

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