2015年12月22日火曜日

戦争を異なる視点でー「コルビッツと浜田を対置」佐喜眞美術館

「沖縄の戦後はまだ終わらない」と、17日に永眠した恩師米須興文先生は書いている。芥川賞作家目取真 俊の『沖縄「戦後」ゼロ年』は、まさにゼロ年が続き戦後が終わらない沖縄の現実を突きつけている。そして沖縄内盥回しの普天間の辺野古移設が有無を言わさず、沖縄住民の80%に及ぶ反対の声を押しつぶすように進められている。辺野古沖でのカヌー隊の活躍やキャンプ・シュワーブ入り口での一般市民の熱い辺野古阻止の無暴力の座り込みが、毎日のように繰り広げられている。70年前の戦争の無残さ、その後の土地囲い込みによる米軍基地建設、フェンスの中から朝鮮戦争、ベトナム戦争へと米軍兵士が飛び立っていった。そして冷戦が幕を下ろして後の21世紀の始まりはテロという名の新たな脅威による戦争の拡大である。中東が血なまぐさい戦場になって久しい。まだ混沌〈カオス)が続いたままだ。戦争は終わらない。米軍は世界に800も基地を保有し、その中でも沖縄基地は彼らにとって、日本政府による「思いやり予算」で治外法権、地位協定勝手きままのここちよさで運営されている。戦後がいつまでもやってこない脅され続ける沖縄!この状況を変えたい!戦争で犠牲になった人々、現に犠牲になっている人々を前に何ができるだろうか?戦争に加担していく基地を沖縄からなくしていく事は
、加害者/被害者の宿命を免れることになる。

2015年12月10日木曜日

愛らしさが脳裡から離れない日々!

秋の景観

 『海人』とイラストの入ったTシャツを身に着けた少年のその愛らしさに釘付けになった日、愛らしさが語りかけるものは、例えば人生の辛酸や歓びを嘗め尽くしてきたような老父母のことばの柔らかさとおだやかさとその語りの深い諦観と共にやってきた優しさであり、しかしその記憶の残酷さでもあった。
 
対馬丸にのっていたのは穏やかな表情の少年の祖父の兄であり姉であった。戦争の惨さが身体に魂の底に沈静していたのである。「あっちは戦争でたくさんの人が亡くなったところでね」の一言がドスンとやってきた。信心深さは、亡くなった母がよくやっていたように「まぶいを込める」という行為に至る。若者たちが心霊スポットとはしゃいで肝試しをする場所は、実際に余儀なく命を絶たれた者たちの自らの納得のいかない死ゆえに、逡巡し、さまよう霊たちが集う場所でもありえるのだ。遊びの場ではないのである。

70年前の戦争の記憶は身体に精神に沈殿しつづける。そしてそれは語りの中から子供へ、そして孫へと引き継がれていく。対馬丸会館で毎年慰霊祭が開催される日、愛らしい少年は祖父といっしょに鳥たちを放つセレモニーに参加する。数多の生き物たちと繋がってある地球の住民として、戦争で生命を失われた者たちの記憶と共に、地球市民の意識に何度も回帰していくのである。

命への優しさであふれる明るい部屋の中では、ウサギが放し飼いにされていた。犬、ネコの放し飼いはわかるが、ハムスターの放し飼いも以前経験があるからわかるが、うさぎには驚いた。そのウサギが「コスモスの花やタンポポの花を食べるのですよ」と、お話した夏の入道雲のように穏やかな女性は、いつでも『聡明な人』のイメージのままそこに実在した。

キャンパスに咲いているタンポポとその葉っぱをもってまた愛らしい目に会いに行きたい。

【愛らしさに眼が吸い込まれ打たれた日】
【一目ぼれとはこんな感覚だったのだろうか】
【眼差しがちらりちらりとやってくる日々、愛らしさが焼きついたまま】
【パブロフの犬が惑いを与えた日、君がいた】

2015年12月5日土曜日

Heartwarming Thai Commercial - Thai Good Stories By Linaloved


たまたまテスト採点の途中で見たのですが、心温まるコマーシャルですね。人の善意が信じられる社会へ!小さな志が大きな人の輪になっていくのはいいですね。教育は大きな鍵です。生涯、学びの人生行路です。タイの素敵な青年の笑顔がいい!

11月28日キャンプ・シュワブゲート前 鳩山元総理は辺野古反対を支持!


2015年12月3日木曜日

北風が少し強い中千原池へ行った。首里の杜でチチチチと鶯が鳴いている!

ピーサーが元気よくピーピーと鳴いている。池の白鷺さんたちは相変わらずだが、青鷺が見えなかった。渡り鳥のウの仲間は数羽に留まっている。白鷺が追いかけっこのように飛ぶ朝、白い優美な姿から想像できないガーガーの鳴き声!鳴き声には興覚めしてしまう。

人気のない「きゅうようはし」をあるきながら途中で、池を覗く。いつもの習性だがその間に鶯の鳴き声も聞こえてきたりする。聞こえてこなかった。農学部の校舎まで行き、その帰り、生協の裏あたりでチチチチチとかすかなホケキョが聞こえてきた。どうも[首里の杜]近くのこんもりとした藪、木々の中で鳴いている。追いかけるように見ていると、琉球松やガジュマルの木々の枝にもやってきた。一羽だ。東屋のところまで行くとさらにガジュマルや梯梧の樹木の中に飛んでいった。小さな姿が目に焼きついた。

東屋というのは、庭園の中にある休憩所のようなものです。庭園に行くと、池の近くなどに木で造られた屋根つきの簡易な建物が時々ありますが、あれが東屋です。》

首里の杜には東屋があり、一度だけそこで初心者の三線の稽古をした。そして弁当を広げた。ネコもやってきた。そこでしばらく耳を澄ますと鶯はやってきたのである。

12月3日、鶯がちちちちちと首里の杜で鳴いた日!
白鷺が番で朝のロマンス!


                   この草樹の中に君はすんでいる!
ここは鶯の里

 
鶯がこの草樹の中から聞こえてきた。
 

 
 
東屋でしばし時が流れるとチチチは聞こえてきた。写真が縦にならない!
 
 
東屋はいつでもひきつける。
 

 

2015年12月2日水曜日

TED project の発表が冒頭からやり直しである!

TEDは面白い。学生たちに好きなTEDの10のプレゼンを観てもらって、その中から共通するプログラムを11選んで、3~4人で発表する計画をたてた。さていよいよ今日から発表だと少なからずの期待感をもってCall教室に行った。一つのグループは発表者の一人が風邪でお休み。もう一つのグループも全くPPTも準備ができていない。やれやれの状態だ。

9・11以降、英語の授業形態を変えてきた。インターネットでテーマにそった情報を集め、発表させる形態に変えた。ネット情報の中には批評や研究論文として優れたものが多い。Wikipediaでも情報量は日本語と英語とは圧倒的な差が露呈している。ある一人の人物を取り上げるにも、欧米系だと英語量が凄いのは良識的によくわかる。またなんと琉球史や琉球語、沖縄語にしてもウィキの英語版は日々更新して情報をつけ加えたり訂正している。圧倒的に英語を母国語とする人々、あるいは兄弟言語圏・欧米圏の人々のアクセスと参入が多いのだろう。日本語の情報の提供の充実が実は英語情報に与える影響は大きいといえる。地元の研究はこちらが強いのだと自信のある方々は熱心に日本語版のウィキに参入してほしい。こちらの情報はやはり例えば日本語通の欧米の研究者が書き入れているので、彼らは日本語版のウィキを読んでいる。相乗効果が期待できるだろう。と,、話は横滑りだ。

知の領域は世界が鏡になりつつある。琉球・沖縄の情報なり、古来からの研究も第三者的な視点がどんどん導入されていく時代だ。一方であちらの、つまり欧米の動向や方向性がTEDや英語で書かれた論文から見えてくる。

大学の教科書よりTEDが面白いので、今回はTED発表を課題にしているのだが、学問に王道なしで、本気でバイリンガル的に英語を自分のものにしたい学生は何度でも読んだり、見たり、まねたりしてそれらの多くの情報を生かしていけばいい。そのプロセス、切っ掛けになればいいと考えての導入だがー。

トップ発表グループが選んだTEDはDan PinkのThe Puzzle of Motivationでネットでは誰かが丁寧にスクリプトの英語とその日本語訳まで紹介している。発表の前に全員、そのプログラムにアクセスして見てくる事、可能ならプリントして読んでくることを課題にしている。発表者はその中味のディテールを報告しないといけないだがー。つまりスピーカーの事や、固有名詞やある概念についての説明などだ。PPT作成も要求した。

ところでこのThe Puzzle of Motivationは面白い。21世紀と20世紀の違いの概念がこのわずか18分そこらのスピーチから伝わってくる。KEY 概念が-:

 Autonomy 自主性    
 Mastery 習得 (成長)
 Purpose 目的
 である。

 Autonomy からはすぐに沖縄の自決権が念頭に浮かんだりする。
If Then 形式の報酬は20世紀型で、21世紀はAutonomy/Mastery/Purpose である。そこで飛躍するが日本政府のアメとムチは、20世紀型の「沖縄内国植民地政策」だということがわかってくる。

騙されない知性、賢明さがいつでも要求されているのだが、ネットを見る限り、ウィキピディアの存在からして、そしてDanさんが最後に話している事、So, if we repair this mismatch between what science knows and what business does, if we bring our motivation, notions of motivation into the 21st century, if we get past this lazy, dangerous, ideology of carrots and sticks, we can strengthen our businesses, we can solve a lot of those candle problems, and mybe, maybe, maybe we can change the world.
(ネットで日本語訳が紹介されています)

を聞くと、世界をいい方向へ変えていこうとする人々の誠意(心)が信じられる。
世界の、地域の、国の問題解決のための英語の共通語性が有用でありつづける現在。しかし多言語社会化、多文化共生化、多宗教混在化の世界にますますなっていくのだろうね。先駆的な国家はすでにEUやアメリカを含め、アジアではインドやインドネシア、フィリピンがある。コスモポリタンで土着的なアイデンティティを持った国々は多いね。身近な足元の問題が世界と絶えず繋がっていることが意識される21世紀の現在(形)。

                                  朝、いつも同じ場所にいるジバトさんです!クークーと鳴く君はステキ!